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そくせき

作:鳶沢ちと [website]

来栖美七のオペレーション・オーガスレイヤー? - 3.オペレーション、成立!

「鞄? いいけれど」
 何をするのかと不思議そうにしながら、鞄を渡してくる。
 美七の通学用鞄は、オーソドックスなナイロン製のボストンバッグだった。紺色の長方形に、グレーの手提げ紐。僕も似たようなものを使っているが、|襠《まち》が広くて便利なのだ。
 ファスナーを開くと、柑橘の芳香がふわりと広がる。途端、なんだか罪悪感が襲ってきて、慌てて美七の顔を見てしまったのだけれど、当人はただ首を傾げてくるだけだった。蠱惑的な香りに苛まれながら、僕は鞄の奥に目的のものを見つける。
「来栖。底板の下に、チョコを隠せないかな?」
 このタイプの鞄は、底が型崩れしないように硬い底板が入れてあるのだ。文庫本サイズで厚みもないパッケージなら、十分覆い隠せる。いくら鬼塚とて、底板をひっくり返すまではしないだろう。
「重い荷物を入れなければぺったんこにはならないし、大丈夫だと思う。上手く誤魔化せそう!」
 お墨付きも出た。第一段階の校内持ち込みはクリアだ。作戦ノートに赤丸を付ける。
「じゃあ、次だ」
「隠し通す、よね。この方法なら、一緒にクリア出来るんじゃないかしら」
「うん。だから、第三段階に移ろう。誰にも悟られずにチョコを渡す――前提として、Xくんが鬼塚に密告する心配はないの?」
 そうなっては今までチョコを隠してきた意味がない。念には念を入れて確認、程度のつもりだったが、美七は目を丸くして驚嘆していた。
 まさか。
「考えてもみなかった」
 立てていた肘がずり落ちる。そんな馬鹿な。そこが覆ってしまっては、今までの時間は一体なんだったのか分からない。
「それだけ信用できる相手だと思っていいのかな……」
「まあ、そうね」
 美七がそう言うなら、それを信じるしかない。素性の知れないXくんに、僕の命運がかかるというのは大変居心地が悪いけれど。
 相手の条件を確認したところで、次にシチュエーションである。密告の恐れがある以上、教室や廊下のように人目のつく場所ではいけない。それどころか、誰一人として見られてはならない。これが非常に厄介で、普通に人気のない場所を選んでも、ばったり誰かと遭遇する確率が絡むのだ。そういう偶発性も可能な限り排除しなければならない。
 取っ掛かりを得るがてらに、美七の案を聞いておく。
「来栖はどうやってチョコを渡すつもりだったの?」
「ベタに下駄箱、とか。授業の合間の休み時間なら、人も少ないんじゃないかしら」
 確かに人は少ないけれど、あくまで少ないだけ。確実に見られる。だいいち、バレンタインデーに往来のない時間を狙って下駄箱に居たのなら、それは今からチョコを仕込みますと言っているようなものだ。
 無言で腕を組む僕を見て、美七はだめかー、と脱力した。
「|美術準備室《ここ》は使えないの?」
 ここで計画を練っているということは、隣にいる先輩は信頼できる人物なのだろう。なら、この場所を借りてチョコを渡すことが出来れば、目撃される可能性はかなり低いように思える。僕や先輩が見張りをすれば、もっといい。
「今日はたまたま先輩しか居なかったけど、明日は普通に部員がいるらしくて使えないの」
「他に候補になりそうな場所は?」
 美七は首を横に振る。今度は僕がだめかー、と脱力し、匙の代わりにペンを放り投げた。
 場所のあてがないなら、アプローチを変えるしかない。例えば、教室でチョコを渡しても咎められることがない――そんな、魔法のようで、自然な渡し方。
 よく、木を隠すならば森の中と言う。チョコを日常の中に紛れさせ、見つかっても問題が無いようになれば、それ以上の手はない。学校という森に溶け込む、木とはなんだろう。時間割を頭の中で追って、僕らの日常を回想していく。始業前、チャイム、ホームルーム、授業。教科書、筆記用具、移動教室。
 昼休み。
「購買……」
 ぱちっと何かがはまる音がした。
「購買で買った商品は、白いビニール袋に入れられる。透過性が低いから、少し見たぐらいじゃその中にチョコが入っているとは気付かれない。人目につく場所でも、これなら自然に渡すことが出来るんじゃないかな」
 美七もお昼は購買だから、ビニール袋の入手は比較的容易だし、持っていても怪しまれることはない。
「急にビニール袋を渡されて、変に思われないかな?」
 確かに、不審がって中身を確認されると困るな。
「Xくんの分もついでに買ってくる、なんて言っておけば口実が出来る。チョコに気付いた時のリアクションが懸念になるけれど、美七がその場にいればカバーは難しくないはず」
「Xくん、いつもお弁当だから、ついでは無理だよ」
 撃沈。それは考えていなかった。
「それに、ちょっと色気がないよね。ビニール袋」
 ぐうの音も出ない。美七が僕の肩に手を置くものの、その気遣いが余計に虚しかった。
 いい考えだと思って、少し焦ってしまった。美七はいつも購買だと分かっていたのに、Xくんの事情まで確認しなかったのがその証拠である。行き詰まり始めると目の前の藁に縋るのは、僕の悪癖だ。
 美術準備室はシンナーと油の混ざったような臭いがした。保管している画材のせいだろう。この臭いは嫌いじゃないけれど、流石にずっと嗅いでいると頭が痛くなってくる。外の空気でも吸おうと、クレセント錠を下ろして窓をスライドさせる。
 窓からはグラウンドを一望出来て、手近な所に陸上部の練習風景が目に入った。僕はコートにマフラーまでして凍えているというのに、連中はジャージにハーフパンツである。気でも狂っているのだろう、と帰宅部の僕は思った。冷たい風が頬を切るように吹き抜けて、画材庫の紙がぱらぱらと翻った。
「何見てるの?」
「特には」
 気付けば美七が横から覗き込んでいた。僕の上の空みたいな返事に、ふうんと返す。
 陸上部はリレーの練習をしていた。百メートルのトラックを一周した走者が、次の走者にバトンを繋ぐ。アンカーがゴールしたあと、集まってタイムを確認。少し談義したあと、また第一走者がスタートラインに立つ。ホイッスルが鳴って、走り出す。
 第二走者にバトンを繋ぐところで、ミスが発生した。バトンを落としてしまったのだ。
「ありゃー」
 美七は呑気にそう漏らす。第二走者は慌ててバトンを拾って、転がるように走り出した。
 その一部始終を見た僕は、はっと息を呑んだ。
「来栖。チョコを渡す必要なんか、なかったんだ」

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