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そくせき

作:鳶沢ちと [website]

飛文症 - 8.テストツール

 小十郎が当院にやってくるのは比較的暇な時間帯であり、去る頃には仕事帰りの患者が増えて忙しくなる。病院が忙しいというのは嘆かわしいものだが、その利益を得て飯を食っている身としては、忌々しくも思い切れずにいた。
 なんとなく継いだ家業だったが、人に感謝される仕事というのは存外居心地がいいものだった。厄介な患者は強面の父が診察を引き受けてくれているし、他所に比べると幾分か楽をさせてもらっている。面白い患者がいるお陰で、退屈もしない。
 その面白い患者のことを熱心に聞きたがるのは、末妹の桜である。診察が終わった後に、締めの作業や書類仕事をたまに手伝ってくれるのだ。見返りとして桜が要求するのは、金品ではなく小噺。丁度さっき仕入れたばかりの話を、書類をやっつける片手間に披露していた。
「――と言う訳だ。眼鏡の一件は桜の思っている通り、小十郎が裏で動いていたよ」
 小十郎は桜に飛文症のことを話しておらず、よって桜は飛文症のことを知らないと思っているようだが、ところがどっこい私からだだ漏れであった。守秘義務? 何を言う、桜は当院のスタッフだ。中学生なので正式な契約はしていないが。
「あいつ~! なんとなく変な気を回してるんじゃないかと思ったんだー!」
 ぼやっとしている桜だが、勘は妙に鋭かった。小十郎のことを何かと知りたがるのも、曰く「なんかあいつは誰かが見てやらないとだめな気がするー」とのことだった。正直、飛文症は私の手に余る問題だったので、近くでサポートする者が居た方がいいと思っていたし、桜もそれを感じ取っていたのかもしれない。
 というのもあって私は、ある程度登場人物のプライバシーは考慮しつつも、大方の情報を桜に伝えることにしていた。
「全く小十郎とくれば、折り合いをつけるのが下手過ぎる。もう少し開き直った方が生きやすいのだがな」
「まーでも、いいやつだぞ。上手く言えないけど、吾輩は飛文症を授かったのがコジュウローでよかったと思ってる」
 授かった、か。
 小十郎は飛文症を、その名を冠した通り、病だと捉えているようだが、私と桜は別の解釈をしていた。確かに人の気持ちを読み取る力というのは、使いようによって悪たり得る。だが小十郎は、その力で誰かを傷つけただろうか。少なくとも今回、被害者らしい被害者は出なかった。それも偶然の産物ではなく、小十郎自身が勝ち取った結果である。
 飛文症は、果たして忌避すべきものか。治すべきものか。「症」と表すことすら、正しくないのかもしれない。
 だが、その過程で彼が苦しみを伴っていることもまた、確かなことだった。
「……ところでその『吾輩』という一人称、そろそろやめた方がいいんじゃないのか? 奇異な目で見られることも多いだろう」
「これか? これなー、言うとコジュウローがまだちょっと嫌そうな顔するから、駄目なんだー」
「? まだ読み間違いを根に持ってるということか?」
「うん。吾輩がじゃなくて、コジュウローがだけどなー」
 どういうことだろう。てっきり読み間違いの当てつけに小十郎をからかっているのかと思ったが、そうではないらしい。
「吾輩が吾輩って呼ぶの、気に入ってるから別にいいんだぞっていつも言ってるんだけど、未だに申し訳ないと思ってるみたいで、それでちょっと嫌そうな顔するんだ。頑固だろー? だからコジュウローが自分を許すまで、吾輩は一生吾輩なんだー」
「おいおい、嫌がらせも程々にしてやれよ……」
「それは違うぞ! コジュウローを好きな吾輩がそう呼ぶんだから、大丈夫なんだー」
 ああ、そういうことか。呆れた。揃いも揃って回りくどいやつらばかりだ。
 桜がそんな拘りを持って、特異な一人称を固辞していたとは。小十郎が果たしてその好意を受け取れるのかは定かでないが、誰かが彼を肯定し続けることは、スパゲッティコードみたいにややこしくて面倒くさい思考回路を、今はまだ感じている苦しみを、解きほぐしていくのかもしれない。桜は無意識にそれをやろうとしている。吾輩という一人称は、そのテストツールなのだ。
「あっ。好きって、そういうんじゃないぞ。あれは違う。弟みたいな感じだ」
「何も言ってないだろう」
 保護対象として見る上でその表現は間違いではないのだろうが、桜が姉というのは首を傾げる。
 まあこの際どっちが上の兄弟なのかは置いておいて、小十郎が私の義弟になる日が来るのかもしれんな、と、下世話な想像をするのだった。
おしまいです。お付き合いありがとうございました。

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