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そくせき

作:鳶沢ちと [website]

飛文症 - 4.後ろめたさを抱えながら

 廊下は多少の話し声や足音がするぐらいで、教室の喧噪に比べると至って静かなものだった。
 その中でもふと目についたのは、クラスの離れてしまった仲良し四人グループが、小さな輪を作って談笑に興じる姿だ。実に平和的な光景、学生の送るべき日常。満点花丸を付けてあげたいところだが、飛文症がそれを許さない。
 四人のうち、一人。けらけらと笑顔で振る舞う腹の底に、どろっとした黒い感情を湛えていた。ふつふつと湧き上がる文字は、端的に表せば嫉妬の数々。どこそこの何々くんと輪の中の誰々さんが上手くいっていることに、妬みを向けているのだ。
 それでも仲のいいふりを続けている、矛盾を抱えたその姿は、実に人間的だと思った。思ったけれど、共感までは出来ない。僕は辻褄の合わないことは嫌いなのだ。
 嫉妬は負の感情かもしれないが、悪いことだとまでは思わない。強い気持ちは、それだけプラスにもマイナスにも振れやすくなる。誰だって恋に悩むことくらいあるわけで、言うなればそれも青春の一幕である。その舞台裏を勝手に覗き見る僕の方が、よっぽど悪だ。それを詫びるわけにもいかないのが、余計に苦しい。飛文症のことは、ごく一部の人にしか話していないのである。
 そんな後ろめたさを抱えながらも、僕は今、この飛文症を利用しようとしている。それは何故か。
 吾妻の眼鏡は、やはり盗まれている。そう踏んでいるからだ。
 正確に言えば、その線が濃いと考えている。だけど断定するには情報が少なすぎるし、よって誰が盗んだかもはっきり分からない。だから僕は、飛文症が負の感情を汲み取ることを利用して、罪悪感に包まれているであろう犯人を、こうして探しに出たのだ。まあ、顔を洗いたいというのも建前ではないので、トイレまでの往復で犯人が見つかれば|勿怪《もっけ》の幸い、程度に思っている。
「出来るだけ早く見つけたいが……さて」
 誰にも聞こえないぐらいの音量で独り言ちる。
 そう、この事件にはタイムリミットがある。具体的には、次の授業が始まるまで。四時間目は国語で、比較的黒板の字が細かい。視力の弱い吾妻が眼鏡なしで授業を受けるのは、多少なり不便が生じるだろう。別に吾妻が困る分には構わないのだけれど、巡り巡って僕が困る。
 飛文症が邪魔をして、僕はろくに黒板の文字を読むことが出来ない。だから吾妻にノートのコピーを貰っている。期末試験を目前にそれが途絶えるのは、痛恨の極みだ。
 借りがあるというのも、このことだ。コピーを貰っていることもありがたいけど、そうじゃない。その厚意を、飛文症のことを話さずに受け取っていることこそ、借りだと思っている。吾妻には、目に障害があるとしか話していない。中学二年生にもなって、「文字が飛んで見えている」なんて、それこそ年齢特有の病気に思われる。中二病とはよく言ったものだ。
 特に目ぼしい成果のない中、男子トイレからクラスメイトが出てくるのが見えた。
「やあ、茂木じゃないか。奇遇だね」
 なんて気さくに話しかけているけれど、二年になって初めての絡みだ。そんな間柄じゃない。だからきょろきょろと辺りを見回す茂木の反応は、至極当然のものだったと思う。
 周囲に誰もいないことを確認して、ようやく自分が呼ばれていることを悟った茂木は、たどたどしく答える。
「あ……相沢。どうしたの、急に」
「……ハンカチ、使わないのか?」
 トイレから出てきた茂木の手は、当たり前だけど洗った後であり、故に濡れたままだ。
 ハンカチを持ち歩く几帳面な男子生徒は、他ではどうか知らないが、ここでは少数派と言っていい。彼はその少数派であり、ハンカチを手にして教室に戻ってくる姿を、僕は何度か見かけたことがある。なのにも関わらず、今日の彼はそのハンカチを使わない。
「ああ、いや。……その、使えない……んだ」
「汚したとか?」
「まあ、そんなとこ……かな」
「僕の、貸そうか?」
「え? いや、いいよ。相沢も使うんだろ。じゃ、俺、もう戻るから……」
 そそくさと去る茂木の猫背を、僕はしばらく眺めていた。
 茂木に声を掛けたのは気まぐれなんかじゃない。飛文症の僕から見た彼は、真っ黒だった。ごめんなさい。やってしまった。やるんじゃなかった。ばれたらどうしよう。嫌われたくない。そんな文字で、彼の周囲は埋め尽くされていたのだ。
「だったら、なんで盗みなんか――」
 そこまで言って、僕は口を噤んだ。
 状況的に疑わしいのは間違いない。けれど、茂木が吾妻の眼鏡を盗んだ決定的な証拠は、まだ無いじゃないか。
「文字に踊らされてはいけない……確かに、先生の言う通りかもしれないな」
 僕は危うく間違うところだった。
 疑わしきは罰せず、という。見当違いで茂木を問い詰めたって、彼が気を悪くするだけだ。多分、吾妻もいい思いはしない。結果的に僕が正しかった、では駄目なんだ。
「……けど、文字と踊るって、どうやるんだ?」
 そう首を傾げる僕は、先生の言葉によって、既に踊らされているのかもしれないと思った。

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