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そくせき

作:鳶沢ちと [website]

飛文症 - 3.眼鏡をしらないか?

   ◆

 先生が僕を子供扱いするのは、事実に相違ないので何とも思わない。中学二年生というのは、僕からすれば主観、客観どちらにしても子供そのものだ。
 二年目で学生服に袖を通すのにもこなれて、それでいて高校生になるまで二年の猶予がある。自由を謳歌するには絶好の気楽さの中、モラトリアムに押し込められた不自由さから抜け出せない、そんな二律背反がもどかしく思える。それでも、大人は自由でいいねと、呑気に言えないぐらいには、大人の背中がそこまで見えていた。
 飛文症の僕には、特にそれが感じやすいのかもしれない。
 電車の中では納期、ノルマ、支出、責任、自己嫌悪、転職、死にたい。そんな黒々とした言葉が、よれたスーツを着たサラリーマンの双肩に、ずしりとのしかかる。年を食うごとに負の感情は膨らんで、その分文字が大きく表れる。
 片やこの教室に溢れるのは、だるいだの眠いだの、誰も彼も阿呆面をさげていて、そんなやつほど早く大人になりたいなどと語るのだ。どちらが自由なのかは比べるまでもなかった。
 かく言う僕も、何を隠そうだるいし眠い。体育の後の休み時間は、疲労が眠気を誘うのだ。
「あれー? どこにいったかなー」
 大口を開けてあくびをする僕の横で、女子のよく通る声がした。一瞥すると、声の主は通路を挟んで隣の席にいる、|吾妻桜《あがつまさくら》だった。そのままやり過ごそうと思ったのに、タイミング悪く視線がぶつかる。
 それを丁度良く思ったのか、吾妻はにっ、と無邪気に破顔した。
「なー、コジュウロー。吾輩の眼鏡をしらないか?」
 相変わらず異色とも言うべき一人称だが、そうなったのは僕のせいでもある。小学生の頃、背伸びをして夏目漱石をにわかに読んでいた僕は、それにつられて吾妻を読み間違えた。以来彼女は面白がって吾輩と自称するようになったのだ。
 コジュウローは僕のことである。|相沢小十郎《あいざわこじゅうろう》。舌足らずの彼女が呼ぶと、なんとなくカタカナ表記に思える。
「知らない。僕も体育館からさっき戻ってきたばかりなんだ」
「そっかー」
 こざっぱりした性格の彼女は、特に追及することもなく、あっさりと問答を終わらせた。まあ本当に何も知らないので、問答をしたところで収穫が望めないのも確かなのだが。僕は吾妻に借りがあるので、頼まれれば手伝ったのに。
 なんだか目が冴えてしまったので、うとうとと机に突っ伏す気にもならなくなった。涙が乾いて目やにになってしまっているし、顔でも洗ってこよう。椅子にへばりついていた腰を剝がす。
「なんだ、手伝ってくれるのかー?」
「そんなことは一言も言ってない。ちょっと顔を洗ってくるんだ」
「ちぇー」
 聞かれただけだ。これは頼まれごとには数えない。口を尖らす吾妻に嘆息しながら、すれ違いざまにじゃあねと手を振る。すると、何かを思い出したように、
「あっ」
 と、僕の背中に声が掛かった。
「なに?」
「もしかしたら、吾輩の眼鏡がどこかに落ちてるかもしれない。見かけたら拾っておいてくれー。赤ぶちの、かわいいやつだー」
 可愛いかどうかは知らないけれど、その特徴はよく覚えている。やってくれと言われれば、僕はその頼みを断らない。
 しかし、である。不正確な情報提供には、物申さねばならない。
「眼鏡が裸で落ちてるのか? ケースに入れて持ち歩いてたんじゃないのか」
 吾妻はぎくりとして、頭をかいて誤魔化す。
「め、めんどくさくてそのまま机の上に置いてたのだ……。壊しちゃいけないし、体育の授業中は掛けないようにしてるから……」
 そう言って、空の眼鏡ケースを開いてみせた。まったく、大事にしているのかしていないのか。面倒くさがり、大雑把、他人から血液型はO型でしょうと言われるタイプ。いつも一手詰めが甘くて、トラブルを地産するのだ。
 経緯を推察するに、つまりはこういうことだ。体育の前の授業、つまり二時間目は眼鏡を掛けて授業を受けていた。これは僕も見ているから間違いない。そして三時間目、更衣室に行く前に教室で、もしくは更衣室で眼鏡を外して、ケースに入れることなくそのまま体育の授業を受けた。着替えて教室に戻ってきたら、あら不思議。眼鏡がない。
「更衣室は探したのか?」
「吾輩、いつも眼鏡は教室で外すんだー。だから更衣室にはないぞー」
「今日に限って……」
「ないぞ。移動教室の後輩と廊下ですれ違ったんだけど、あんまり見えなくて声掛けられるまで分からなかったんだー」
 眼鏡を掛けていれば視界は良好。後輩にすぐ気付けたわけだ。というか、そんな状態で体育の授業を受けて大丈夫なのか。
「まあ辻褄は合ってる、か。教室で紛失したことはほぼ確定なんだな」
「けど、ないんだよなー」
 何かの拍子に落ちただけなら、その辺に転がっているだろう。けれど見つかっていないということは、そうではない。だとしたら、別の可能性が思い浮かぶ。
 何者かが窃盗を働いた。
 しかしそうする理由が分からない以上、誰にも容疑はかけられない。その可能性は吾妻も考えていないようだし、とりあえず胸にしまっておくことにした。
「……分かった。けどもし見つけたとして、壊れていても責任は持たないからな」
「うう~、ごめんコジュウロー! 次からはちゃんとするから~!」
「謝るのは僕にじゃないでしょ。じゃ、無事見つかるといいね」
 なんて他人事のように振る舞うけれど、ちょっとだけ真面目に探す気でいる。僕は吾妻に甘いのかもしれない。

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